鏡に映るのは自分のありのままの姿であると思っている人が多いでしょう。私もそうでした。ところが、最近「??」と感ずることがあり、このことに疑問を持つようになりました。私が鏡で自分の顔を見るのは、せいぜい朝顔を洗うときぐらいです。自分の顔は見慣れていますので、そのときには特に何も感じません。ところが、同じ顔を写しているはずなのに、写真を見たときには「エライ歳をとったナ。」と感ずるようになりました。実は、同じような印象を、先日放送されたTV番組で自分の顔を見たときにも持ちました。これはどういったことでしょうか?
そこで思い出すのが拒食症の患者さんの症状です。彼女たち(拒食症の多くは女性です)はいくらやせていると言われても鏡を見た自分の姿を太っていると感じてしまうそうです。この症状は本来の自分よりも悪いイメージを持ってしまうことですが、私の場合は本来の自分の姿よりもよいイメージを持っていることになりますので、全く逆です。しかし両者とも真実の姿を見ていないという点では共通しています。
つまり、そもそも鏡を見て本当の自分だと思っている姿は必ずしも現実の忠実な再現ではなく、「こうありたい」、あるいは逆に「こうあってはこまる」といった意識によって修飾されたものであることが分かります。私は今年60歳になり、「老い」を素直に受け入れているはずでしたが、やはり「若くありたい」と思っているのでしょう。
それにしても面白いのは、何故写真やビデオだと鏡の場合のようなデフォルメされた自分に見えないのでしょうか。このことは、ヒトが「何を見ているのか」という問題と深く関係するはずです。ビデオでもダメなのですから動きのあるなしが問題ではなさそうです。「鏡で自分を見る」ときには特殊な情報処理が脳でされているのでしょうか。少し調べてみましょう。
カーブやフォークボールが手元に来て急に曲がるようにバッターには見えるのも実は本当の姿ではありません。軌道の変化はボールがピッチャーの手元を離れたときからすでにはじまっています。ところが、バッターは普通は直球の軌道をイメージしています(「直球であってほしい」ということでしょうか)。最初、直球と変化球の違いは小さくて認識できないのですが、あるところで急に予想した軌道と現実の軌道が異なることに気づきます。脳はそのつじつまを合わせるために「急に曲がった」と感ずるように出来ているのです。もし、最初からフォークボールが来ることを想定していれば、ボールが急に落ちたとは感じず、逆に直球が来てしまうとそれがホップしたと感じるのでしょうか。樋口君、実験しませんか。
彼末













