このブログを検索

2012年8月9日木曜日

オリンピック100m競走


 先週は台湾の出張でした。
餃子の後はホテルでオリンピック男子100mの決勝のテレビ観戦を楽しみました。
ボルトは北京の時の「超人類」といった印象はありませんでしたが、それでも強いことに変わりありません。
ちょうど台北に向う飛行機の中で川島浩平著「人種とスポーツ」を読んだところでした。
彼は「黒人は本当に強いのか」について、主として歴史的な視点から考えようとしています。
はっきりと結論は述べていませんが、底に流れているのは人種によって能力に差はないというメッセージ。
そもそも「人種」とはなにか、「黒人」とひとくくりにできるものはない、そして「黒人」をとりまく社会的状況が彼らを強くしている、といいたいようでした。

 しかし、今回もオリンピックの100m決勝は全員「黒人」でした。
データはありませんが、彼らが他の選手たちより多く練習しているとは思えません(日本人でもやり過ぎるくらいやっているのではないでしょうか)。
またこの本では黒人にも遅い人間がいることを黒人が生得的には強くないことの例としていますが、これは明らかに基本的な間違いですね。
オリンピックと言わず、スポーツで一流になるかどうかは正規分布の端のグループでの話です。
他の種目はいざ知らず、100m、投てきなど基本的な身体能力がものを言う競技では、生得的なものが大きな要因であることは間違いないでしょう。
人種云々を言わなければ、100mには生まれつきの素質が重要であることを否定する人はいないと思います。
ところが、「人種」という話が入ったとたんに氏より育ちにしたがるのはなぜでしょうか?
肌の色や鼻の形は違っても、骨格の形状や筋の性質はすべての民族、人種で同じに違いないと考える方が無理なのではないでしょうか。

 体の大きさは言うまでもなく遺伝で決まります。
特に身長は北欧系の白人、あるグループの黒人が平均して高いです。
この点で東洋人は残念ながらどうしようもありません。
それを考えれば、バレーボールやバスケット、高跳びなどは東洋人は難しい競技であることは、黒人が100mに強いというのと同じくらい確かなことのように思えます。
ただしこれはあくまでも確率の問題です。
それは着目する能力について、(1) あるグループ内での分布の形がどうであるかと、(2) どれだけ多くの若者がそのスポーツに参入するかの二つの要因の積です。もちろん、バスケットのYao Ming のように例外はつねに存在します。
日本の女子バレーボールも身長のハンデを克服して頑張っています。
それを思うと、オリンピック100m決勝のメンバーがここ何十年すべて黒人という事実は、この競技に彼らが持っている生得的な性質がいかに重要かを証明しているといってもよいのではないでしょうか?
それが何かはこれからの研究が明らかにするでしょう。

 この本で面白かったのは、これまで黒人の生得的な能力がものを言うと考えられていた野球、ボクシング、バスケットボールなどで活躍する黒人の割合が減ってきているいう点です。
多分これらの競技はかって、黒人が身を立てる近道であり、それに多くの子供が参入したのでしょう。

 このように考えると、もし日本人が金メダルを多く取れるような状況を作りたいなら、体操、バドミントン、卓球など速さとスキルを要求される種目にできるだけたくさんの子供が向かうようにするのが近道でしょう。
しかし、それではあまりにも夢がありません。
大きな壁があると分かってはいても、それにチャレンジしてオリンピック100mの金メダル、とはいいませんがせめて入賞するようなランナーが出るのを死ぬまでに是非見てみたいものです。

彼末

0 件のコメント: