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2012年10月8日月曜日

「音楽を聴く」と「スポーツを観る」

 音楽を「聴く」とはどのようなことだろうか。

単に音を「聞く」だけではない。
知っている曲ならそのメロディーを頭のなかでなぞっているようである。
これを確かめるため、試しにショスタコービッチの交響曲7番をかけてみる。
これは最近ラジオで聞いて気に入って買ったものである。
実は第1楽章だけ何回も聴いてなじんでいる。
一方、それ以外の楽章はほとんど聞かず、メロディーもほとんど知らない。
まず、第1楽章をかけて曲の途中で止めてみる。
すると頭の中で確かに曲の続きが聞こえる。
つまり、意識はしていないが、「イメージ」で曲をなぞっているようだ。

一方、ほとんどきいたことのない第4楽章では、曲を止めた途端に無音の世界になってしまう。
つまり、知っている曲を「聴く」とは単に受身なものではなく、いわばその曲をイメージで演奏するというactiveなプロセスが含まれるのである。


 同じことがスポーツをするのを見る(観る?)ときにも言えないだろうか。

私は昔走り幅跳びをしていたが、今でも選手が競技するのを見るとき、頭のなかでリズムをきざんでいるのが分かる。
そこで、うまくジャンプ出来ない試技を見たときには何となく違和感が残る。指導者の人たちが選手を指導するときも同じかもしれない。
頭の中で理想の動きと選手の動きを同期させているのではないか?
そして、両者がずれることが指導の手がかりになるのではなかろうか。
これは神経科学的に言えば、「ミラーニューロン」のはたらきということになる。

 加藤君どうでしょうか。



 彼末一之

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